赤城神社の創建は大同年間(806〜810年頃)とも伝わるが、一般には平安時代初期の800年頃に上毛野国(現在の群馬県)の赤城山から大己貴命を勧請したことに始まるとされる。流山の地名そのものが、赤城山の土砂が利根川を流れ下り丘を成したとの伝承に由来するとされており、当社はその地名説話と不可分の関係にある。中世には関東各地に赤城信仰が広まるなかで、当地においても武士や民衆の崇敬を集めたと伝わる。近世、江戸時代に入ると流山は利根川水運の要衝として栄え、当社は地域の総鎮守として周辺村落の信仰を広く集めた。明治時代には神仏分離令の影響を受けつつも社格を維持し、地域住民の精神的拠り所としての地位を保った。…