七尾城
七尾城
石川県
能登畠山氏7代の本拠、上杉謙信が内応で落とした日本五大山城——手取川の戦いへ続く日本100名城
創建
1408
種別
アクセス
JR七尾駅からタクシー約20分
石川県七尾市古城町
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基本情報
創建 1408
618年目
概要
能登国の守護・畠山氏が築いた日本五大山城のひとつ。応永年間(1408〜1429年頃)の築城で、七つの尾根に郭が連なる巨大な城域が特徴。天正5年(1577年)、上杉謙信が家臣の内応によってこの難攻不落の山城を落とし、城将・長続連ら一族が討たれた。落城直後、謙信は越後勢の士気を背に手取川の戦いで織田軍を大敗させた。謙信が陣中で詠んだと伝わる「霜は軍営に満ちて秋気清し…」の漢詩でも名高い。標高約300mの山上に石垣・曲輪の遺構が良好に残る国の史跡で、七尾湾を望む壮観な眺めとともに日本100名城のひとつとして多くの城郭ファンが訪れる、石川県を代表する中世城郭である。
由緒
七尾城は応永年間(1408〜1429年頃)、能登国守護・畠山満慶が築き、歴代当主が拡張して七つの尾根に郭が連なる巨大な山城となった。畠山氏7代・約150年の本拠として栄えたが、戦国末期には重臣の遊佐氏・長氏らが実権を争い内紛が続いた。天正4年(1576年)、上杉謙信が能登に侵攻して七尾城を包囲。一度は退いたが、翌天正5年(1577年)9月、上杉方に通じた遊佐続光の内応により開城し、対織田・抗戦派の長続連ら一族百余名が討たれた。落城の直後、謙信は救援に向かった織田軍を手取川の戦いで大破した。だが翌天正6年(1578年)に謙信が急死すると能登支配は揺らぎ、天正9年(1581年)には織田方が回復、の…
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