JR東海道本線垂井駅から徒歩約20分
岐阜県不破郡垂井町宮代1734-1
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岐阜県不破郡垂井町に鎮座する美濃国一宮で、全国の鉱山・金属業の総本宮として尊崇される。主祭神は金山彦命(かなやまひこのみこと)で、鉱山・製鉄・鍛冶・金属加工の守護神として古代から崇敬されてきた。創建は神武天皇の時代と伝わり、延喜式神名帳(927年)には名神大社として記載される格式高い古社。慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦では西軍の毛利秀元が南宮山の境内に本陣を置いたため社殿が戦場となり全焼した。寛永19年(1642年)、三代将軍徳川家光が4年の歳月をかけて社殿群を完全再建し、現在残る朱塗りの本殿・拝殿・鼓楼・楼門・石造輪橋など18棟が国の重要文化財に指定されている。家光再建の社殿群は「南宮造」と呼ばれる独特の建築様式で、近世神社建築の傑作とされる。JR東海道本線垂井駅から徒歩約20分。
南宮大社の創建は神武天皇の時代と伝わり、もと国府宮に鎮座していたが、後に現在地に遷座したとされる。延喜式神名帳(927年)には美濃国不破郡の名神大社として記載され、平安時代以降は美濃国一宮として朝廷・武家から篤い崇敬を受けた。主祭神の金山彦命は『日本書紀』に伊弉冉尊が火神を生んで火傷した際に生まれた神とされ、鉱山・製鉄・鍛冶・金属加工の守護神として全国の鉱業従事者の信仰を集めた。
慶長5年(1600年)9月15日の関ヶ原合戦では、西軍の毛利秀元・吉川広家・安国寺恵瓊らが南宮山に布陣し、その本陣が境内に置かれたため、戦闘の余波で社殿群が全焼する大惨事となった。毛利軍は吉川広家の徳川方への内通に…
三代将軍徳川家光は寛永15年(1638年)から19年(1642年)にかけて、関ヶ原で焼失した南宮大社の社殿再建に金7,000両を投じた。幕府御用大工・甲良宗政の設計による「南宮造」と呼ばれる独特の建築様式で、本殿・拝殿・鼓楼・楼門・回廊・石造輪橋など18棟が建立され、現在すべて国の重要文化財に指定されている。家光の壮大な再建は徳川幕府の権威と尚武の精神を示す事業であった。
石田三成率いる西軍は関ヶ原合戦の前夜、南宮山一帯に毛利秀元・吉川広家らを布陣させた。三成の戦略では毛利軍が東軍を背後から襲う計画であったが、吉川広家が徳川方に内通したため毛利軍は動かず、結果として三成の敗北を決定づけた。境内が焼失したのもこの戦闘の余波である。
慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦で、西軍の毛利秀元が南宮大社の境内に本陣を置いた。毛利軍は終始動かず傍観したため「南宮山の日和見」と批判されたが、境内一帯が戦場となり社殿は焼失した。この焼失は豊臣政権崩壊の象徴的出来事の一つとなった。
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