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JR東海道本線関ケ原駅から徒歩約15分
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原894-55
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慶長5年(1600年)9月15日、徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が激突した天下分け目の関ヶ原合戦の舞台。わずか半日で東軍が勝利し、徳川幕府成立への道が開かれた日本史上最大規模の合戦の一つ。現在は史跡として整備され、家康最後陣地・石田三成陣地・島津義弘陣地など各武将の陣跡が町内各所に残る。令和2年(2020年)にオープンした岐阜関ケ原古戦場記念館では、最新の映像技術を駆使した展示で合戦の全貌を体感できる。毎年10月には関ヶ原合戦祭りが開催され、甲冑武者行列や合戦絵巻が再現される。濃尾平野と伊吹山を望む盆地に広がる古戦場は、日本の歴史の転換点となった地として国内外から多くの訪問者が訪れる。
慶長5年(1600年)に東西両軍合わせて約16万人が参戦した天下分け目の合戦。家康の勝利により江戸幕府成立の礎が築かれた。
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1600年(慶長5年)9月15日、美濃国関ヶ原(現在の岐阜県不破郡関ヶ原町)において、徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が激突した「天下分け目の合戦」。約8万の東軍と約8万の西軍が激突し、西軍武将・小早川秀秋の裏切りが決定打となって東軍が勝利した。わずか半日で決着がつき、この戦いで天下の趨勢が家康に傾いた。3年後の1603年に家康は征夷大将軍に任じられ、江戸幕府を開いた。関ヶ原古戦場は現在も岐阜県に整備されており、各武将の陣跡が残る。
慶長5年(1600年)9月15日、徳川家康は関ヶ原において石田三成率いる西軍と激突。小早川秀秋の東軍への寝返りが決定打となり、わずか半日で東軍が勝利。この勝利により家康は事実上の天下人となり、慶長8年(1603年)に征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開いた。関ヶ原での勝利は家康にとって生涯最大の決戦であり、その勝利なくして江戸260年の平和は実現しなかった。
秀吉の死(慶長3年・1598年)が関ヶ原の遠因となった。秀吉は晩年に五大老・五奉行制度を整え豊臣政権の維持を図ったが、死後わずか2年で政権は分裂した。関ヶ原は秀吉の後継者をめぐる権力闘争であり、東軍・西軍ともに秀吉の遺産をめぐって争った。秀吉の側室・淀殿と遺児・秀頼の存在が西軍の旗印ともなった。
井伊直政は「井伊の赤備え」の旗本を率いて東軍の先鋒として活躍した。関ヶ原本戦では島津義弘の退却軍を追撃する際に銃撃を受け重傷を負った。この傷が遠因となり翌年に死去するが、その武功が認められ子・直継が近江彦根に大封を賜った。彦根藩井伊家繁栄の礎はこの関ヶ原での奮戦にある。
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