文永元年(1264年)の小松原法難は、日蓮聖人が安房国に帰郷した折に東条景信の一党に襲われた事件で、天津領主・工藤左近将監吉隆が救援に駆けつけて戦死した。日蓮は吉隆の霊を弔い「妙隆院日玉」の法号を授けた。弘安5年(1282年)、吉隆の嫡子・刑部阿闍梨長栄坊日隆が父の菩提を弔うため自らの居館を仏堂に改め、日蓮を開山として建立したのが当寺の始まり。歴代住職は日蓮・日玉(工藤吉隆)・日暁(鏡忍坊)・日隆(工藤吉隆の子)と、小松原法難に縁ある人物が連なる。小湊誕生寺を旧本山とし、日蓮宗宗門史跡に指定されている。