三浦氏の水軍基地として機能した要害堅固な城跡。三浦義明の末弟・義実(岡崎氏)の後、長男・義宗(杉本氏)が居城したと伝わる。『源平盛衰記』に「三方は石山高うして、馬も人も通ひ難き悪所なり。一方は海口に道一つ開けたれば、よき者十二百人あらば、たとい敵何萬騎寄せたりとも、たやすく責め落とすべからず」と記された天然の要害。治承4年(1180年)の衣笠合戦で三浦義澄はこの城に退き、東の谷の「船倉」から船で安房の頼朝のもとへ脱出した。現在の「舟倉」の地名はこの故事に由来する。台地上には縄文時代の吉井貝塚(神奈川県指定史跡)も発掘されている。