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佐賀城
創建
1602
種別
アクセス
JR佐賀駅からバス約15分
佐賀県佐賀市城内
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基本情報
創建 1602
424年目
概要
慶長7年(1602年)に鍋島直茂・勝茂父子が改築した肥前佐賀藩の居城。1838年再建の本丸御殿「鯱の門」が現存し、国の重要文化財に指定されている。現在は佐賀城本丸歴史館として整備され、幕末に反射炉やアームストロング砲を製造した科学技術の先進藩・佐賀藩の歴史を詳細に伝える。明治維新に活躍した江藤新平・大隈重信・副島種臣ら「肥前藩の七賢人」の故郷として有名で、歴史ファンが多く訪れる。
由緒
1602年に鍋島直茂・勝茂父子が龍造寺氏の居城を改修して築城した。鍋島氏は明治維新まで佐賀藩35万石を治めた。幕末には反射炉やアームストロング砲の製造など科学技術の先進藩として知られた。天守は1726年の火災で焼失し再建されなかった。2004年に本丸御殿が木造で復元され、佐賀城本丸歴史館として公開されている。

関連する歴史的事件
1

1874
佐賀の乱跡地(佐賀城)
1874年(明治7年)2月に佐賀県で起きた士族反乱。明治政府の参議・司法卿を辞して帰郷していた江藤新平が、征韓論に賛同する不平士族らに担がれる形で決起した。憂国党・征韓党など数千名の士族が佐賀城を占拠して蜂起したが、明治政府は山縣有朋らを派遣し軍・警察の近代的戦力で2週間余りで鎮圧した。江藤新平は土佐へ脱出して板垣退助に支援を求めたが拒否され、捕縛された後、大久保利通の強い意向により証拠不十分にもかかわらず斬首・梟首(首をさらすこと)に処された。この処刑は「法律家の江藤が法を無視した裁判で処刑された」として後世に批判されることとなった。佐賀の乱は士族反乱の先駆けとして、神風連の乱・秋月の乱・萩の乱へと連なり、最終的に西南戦争への道を開いた。佐賀城本丸歴史館にその経緯が詳しく展示されている。
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