埼玉県さいたま市北区土呂町二丁目に鎮座する神社で、「見沼七弁天」の一社として地域に親しまれてきた。祭神は宗像三女神――田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)――で、航海・海上交通の守護から転じて開運・芸能・縁結びの神として広く信仰を集める。境内に現存する石宮の銘文には「寛永六年(1629年)」の年紀が刻まれており、少なくとも江戸初期には既に祠が存在したことが確かめられている。
見沼七弁天とは、見沼代用水の東縁・西縁沿いに点在する七社の総称で、江戸中期に徳川幕府が見沼を干拓した際、旧来の見沼の水神信仰を受け継ぐ形で各地の弁天社が整備されたと伝わる。水の守護神としての弁財天(宗像三女神の習合形)が各集落で祀られた背景には、見沼代用水の灌漑網に依存する農村社会の切実な祈りがある。宗像神社は七弁天のうち「土呂の弁天」として知られ、集落…
土呂町は中世には武蔵国足立郡に属し、近世には関東郡代の支配下に置かれた農村地帯である。見沼(みぬま)は古来より巨大な低湿地・天然湖沼であり、水神・弁財天への信仰が各集落に根付いていた。
宗像神社の創建年代は詳らかでないが、境内に現存する石宮の銘文に「寛永六年(1629年)」の年紀が刻まれており、少なくとも江戸前期には既に祠が存在したことが確認できる。江戸中期の享保十三年(1728年)、徳川幕府は勘定奉行・井沢弥惣兵衛(いざわやそべえ)に命じて見沼の干拓を行い、見沼代用水の東縁・西縁が整備された。これを機に、旧来の見沼の水神信仰を引き継ぐ形で沿岸の弁天社が整備・再興され、「見沼七弁天」の格式が…