[ まだ写真がありません ]
最初の一枚を投稿しませんか
JR鎌倉駅西口から徒歩15分(寿福寺境内本堂裏を奥へ)
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-12-1(寿福寺裏山)
Google Map で開く ↗
鎌倉幕府第三代将軍・源実朝のやぐら(横穴式岩窟墓)で、寿福寺境内裏山に母・北条政子の墓と並んで佇む。建保7年(1219年)正月、鶴岡八幡宮の右大臣拝賀式の帰路、甥の公暁に暗殺された実朝は、わずか28歳で生涯を閉じた。武家の棟梁という重責の傍ら、歌人としても傑出し、万葉調の力強い和歌を多数残した実朝の歌集『金槐和歌集』は、藤原定家にも称賛され、後世小林秀雄や正岡子規にも高く評価された。母政子のやぐらと並ぶ二基のやぐらは、源氏将軍家の最後を象徴する静謐な聖地。国指定史跡・寿福寺境内の最深部にあり、参拝者は本堂裏の墓地を抜けてここに辿り着く。
源実朝(1192〜1219年)は源頼朝と北条政子の次男として鎌倉に生まれた。建仁3年(1203年)、兄・頼家が政子・北条時政により追放されると、わずか12歳で第三代将軍に擁立された。実朝は政務よりも和歌・蹴鞠など宮廷文化に傾倒し、特に和歌では万葉風の重厚な調べを得意とした。藤原定家から『新古今和歌集』を学び、後世『金槐和歌集』としてまとめられた約700首は中世和歌史に屹立する。建保7年(1219年)正月27日、実朝は右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮を訪れた帰路、社頭の大銀杏の陰で甥の公暁(兄頼家の遺児)に襲われ、28歳で命を落とした。源氏将軍三代はここに絶え、以後鎌倉幕府は摂家・親王将軍を迎え、北条…
建保7年(1219年)正月27日、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮を訪れた実朝は、参詣の帰路に甥・公暁の刃に倒れた。28歳の歌人将軍は、母・政子が創建した寿福寺の裏山やぐらに葬られた。隣には嘉禄元年(1225年)に没した母のやぐらも並び、源氏将軍家の最期と尼将軍の最期が、寿福寺の山中に静かに寄り添っている。
建保7年(1219年)、政子は次男・実朝を公暁の凶刃で失った。源氏将軍家の血を引く三代が全て絶えた瞬間であり、政子の悲しみは尽きないものであったと伝わる。実朝のやぐらの隣に自らの墓所を定めたのは、息子と並び永遠に眠ろうという母の意思であった。
頼朝が築いた鎌倉幕府は、嫡子・頼家、次男・実朝の二代でその直系を絶った。実朝のやぐらは、父頼朝が成し遂げた武家政権の創始と、わずか三代でその血が絶えた歴史の重みを、静かに伝える場所である。
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能