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島原城
島原城
創建
1618
種別
アクセス
島原鉄道島原駅から徒歩約10分
長崎県島原市城内
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基本情報
創建 1618
408年目
概要
松倉重政が築いた島原藩の居城。過酷な築城負担と圧政がキリシタン弾圧と相まって島原の乱(1637年)の原因となった。五重天守は1964年に復元され、城内にはキリシタン史料館が設けられている。
由緒
1618年に松倉重政が築城を開始し、1624年に完成した。4万石の小藩にそぐわない壮大な城郭の築城は領民に過酷な負担を強い、キリシタン弾圧とともに1637年の島原の乱の主要な原因となった。乱後は高力氏・松平氏・戸田氏と城主が替わった。五重五階の天守は明治維新後に解体され、1964年に鉄筋コンクリートで復元された。城内にはキリシタン資料が展示されている。

関連する歴史的事件
1

1584
沖田畷の戦い
1584年(天正12年)、肥前国島原(現在の長崎県島原市)の沖田畷において、島津家久率いる島津軍が龍造寺隆信率いる龍造寺軍を大破した戦い。九州の覇権をめぐる両雄の決戦で、龍造寺隆信は島津方の罠にはまり泥沼地帯に誘い込まれて壊滅的打撃を受け、隆信自身も討ち取られた。これにより肥前の雄・龍造寺氏は急速に衰退し、以後は鍋島直茂が実権を握る形で勢力を維持した。島津氏はこの勝利でさらに九州制覇に近づき、大友氏と並ぶ二大勢力との対決へと向かっていった。
もっと詳しく →
水野勝成とのつながり
寛永15年(1638年)、75歳の水野勝成は島原の乱鎮圧のため出陣。息子や孫に支えられて戦場に赴いたが、到着するとその闘争心は健在であった。兵糧攻めを主張する幕府軍に対し「さっさと力攻めでぶっ飛ばせ」と一喝し、的確な攻撃指揮で膠着していた戦況を一変させた。戦後、一揆軍を「ただの農民」として処理した幕府に憤り、「信念を貫いて戦った英雄を愚弄するな」と抗議して隠居を決意した。

ゆかりの人物
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