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森巌寺(淡島の灸)
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森巌寺(淡島の灸)
東京都
創建
1608
種別
寺院
アクセス
小田急線・京王井の頭線 下北沢駅から徒歩5分
東京都世田谷区代沢3-27-1
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基本情報
寺院
創建 1608
418年目
御祭神・御本尊
阿弥陀如来
開基・創建者
開基: 結城秀康(遺命) / 開山: 孫公和尚
宗派
浄土宗
ご利益
浄化・お祓い
極楽往生
穢れ祓い・心身の浄化・邪気払い。禊(みそぎ)や護摩の伝統に連なる。
御祭神「阿弥陀如来」のご神徳に由来
概要
慶長13年(1608年)、徳川家康の次男・結城秀康の位牌所として建立された浄土宗の寺院。山号は浄光院。開山の孫公和尚は紀州加太の出身で、持病の腰痛に苦しんでいたところ、淡島明神に祈願したところ夢に淡島明神が現れて灸の秘法を伝授した。和尚はこの霊験に感謝して加太から淡島明神を勧請し、境内に淡島堂を建立。以来「淡島の灸」として江戸市民に広く知られ、灸の施術を求めて多くの参詣者が訪れた。江戸時代には「淡島の灸」と「針供養」の二大名物で賑わい、さらに富士講の拠点としても人気を博した。現在も毎年2月8日に針供養が行われ、世田谷区無形民俗文化財に指定されている。境内には高さ約12mの富士塚が残り、往時の富士講信仰を今に伝える。下北沢駅至近の住宅街に佇む、江戸庶民信仰の生きた記念碑。
由緒
結城秀康(1574-1607年)は徳川家康の次男。一時豊臣秀吉の養子となり羽柴姓を名乗ったが、後に結城晴朝の養子となる。関ヶ原の戦いでは上杉景勝を牽制する重要な役割を果たし、越前北ノ庄67万石を与えられたが、34歳で病没した。秀康は死期が迫った慶長12年、帰依していた越前一乗寺の万世和尚に黄金を贈り江戸に菩提寺を建てるよう遺言。万世は弟子の孫公に託し、孫公が北沢村に適地を見つけてこの寺を建立した。法名「浄光院殿森巌道慰運正大居士」に因んで「浄光院森巌寺」と号した。
徳川家康とのつながり
森巌寺は徳川家康の次男・結城秀康の遺命により建立された。秀康は家康にとって複雑な存在であった。嫡男として認められず、幼少期に秀吉の人質として養子に出され、後に結城家の養子となった。しかし関ヶ原の功績により越前67万石を得て徳川一門の重鎮となった。その秀康が最期に望んだのが、江戸の地に菩提寺を建てることだった。森巌寺は家康の血を引きながら本流から外された次男の、江戸における祈りの拠点として、徳川家の複雑な一族関係を今に伝えている。

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