約1000年前の創建とされるが江戸時代の火災で由緒書が焼失。旧称「栗浜大明神」として航海の守護神・中筒男命を祀る。吾妻鏡に複数の記事が残り、治承4年(1180年)源頼朝の挙兵に呼応した三浦義澄ら三浦一族が衣笠城合戦を前にこの社で戦勝祈願。合戦で父・三浦義明が討死した後、義澄らは当社の山頂の松に幟を立て久里浜から舟で安房国へ脱出し頼朝と合流した。寿永元年(1182年)頼朝は嫡男・頼家の誕生を祝い神馬を奉納。元暦2年(1185年)には北条政子を伴い参拝している。鎌倉幕府創立期の転換点となった衣笠城合戦の戦勝祈願地であり、頼朝・政子夫妻が度々訪れた古社。