天正元年(1573年)、武田信玄の死の直後に家督を継いだ武田勝頼が、遠江攻略の拠点として大井川西岸の牧之原台地に諏訪原城を築かせたと伝わる。普請を担ったのは武田家中の築城名人・馬場信春とも伝えられる(『甲陽軍鑑』による伝承)。城名は城内に祀った諏訪明神に由来する。しかし天正3年(1575年)5月、長篠の戦いで武田軍が織田・徳川連合に大敗すると、同年7〜8月に徳川家康が諏訪原城を攻め落とし、「牧野城」と改名した。家康は天正9年(1581年)の高天神城攻略戦でも本城を補給・前線拠点として活用し、遠江から武田勢力を一掃していった。天正18年(1590年)の徳川氏の関東移封に伴い廃城となった。武田・徳…