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泰平寺
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泰平寺
鹿児島県
種別
寺院
アクセス
JR川内駅から徒歩15分
鹿児島県薩摩川内市泰平寺町
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基本情報
寺院
宗派
臨済宗
概要
薩摩川内市に位置する臨済宗の古刹で、天正15年(1587年)に豊臣秀吉が九州平定後の本陣として使用した歴史の舞台。秀吉はこの地で薩摩を支配していた島津義久・義弘兄弟と会見し、島津氏の薩摩・大隅・日向三国の所領を安堵する交渉が行われた。この泰平寺の会見を経て、島津氏は豊臣政権に服属し、後に朝鮮出兵(文禄・慶長の役)へと動員される。寺院の名称「泰平寺」は秀吉がこの地での平和交渉を記念して改称したとも伝わる。薩摩と中央政権の政治的転換点となった歴史的意義の深い古刹として保存されている。
由緒
泰平寺は鹿児島県薩摩川内市に位置する臨済宗の古刹で、創建年代は明らかでないが、中世以前より当地に存在していたと伝わる。寺が歴史の表舞台に登場するのは天正15年(1587年)のことである。豊臣秀吉は九州平定の軍を率いてこの地に至り、泰平寺を本陣として使用した。秀吉はここで薩摩の覇者・島津義久および義弘兄弟と会見し、島津氏に対して薩摩・大隅・日向三国の所領を安堵する交渉が行われた。この会見を経て島津氏は豊臣政権への服属を表明し、以後、文禄・慶長の役(朝鮮出兵)へと動員されることとなった。寺の名称「泰平寺」は、秀吉がこの地での平和交渉を記念して改称したとも伝えられている。近世以降も寺院としての法灯を…
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島津義弘とのつながり
天正15年(1587年)、豊臣秀吉が九州平定のためこの泰平寺に本陣を置き、兄・義久の降伏交渉が行われた。島津義弘もこの会見に関わり、島津氏が薩摩・大隅・日向3か国を安堵される交渉に立ち会った。この降伏交渉の結果、義弘は後に秀吉の家臣として朝鮮出兵に赴くこととなる。

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