旧集成館反射炉跡は、嘉永4年(1851年)に薩摩藩主・島津斉彬の命により建設された、日本初の反射炉の遺構である。反射炉とは金属を溶解・精錬するための西洋式溶鉱炉であり、斉彬は西洋の技術書をもとに家臣らに試行錯誤を重ねさせ、鉄製大砲の鋳造を目指した。ペリーが浦賀に来航する1853年に先立ち着工・稼働したこの施設は、斉彬の先見的な富国強兵・近代化構想「集成館事業」の中核を担った。反射炉での鉄製大砲鋳造の成功は薩摩藩の軍事力近代化の原点となり、その技術と精神は幕末から明治の近代化へと受け継がれた。明治維新後、施設は役割を終えたが、煉瓦積みの炉跡は現在も仙巌園敷地内に残る。2015年(平成27年)には…