寺伝によれば、弘仁12年(821年)に弘法大師空海が龍泉寺(現・富田林市彼方)に参籠した際、国家安泰と万民化益を願い、一刀三礼にて不動明王・矜羯羅童子・制多迦童子の三体を刻み、それらを祀るために諸堂が造営されたのが当寺の起源と伝わる。南北朝時代には楠木正成がこの地に嶽山城を築き、本尊不動明王を守護仏として深く崇敬したと伝えられる。のちに兵火によって焼失したが、慶長年間(1596〜1615年)に現在地に移転・再建された。1958年の解体修理の際、不動明王像の像内から寛治8年(1094年)の墨書が、矜羯羅童子像からは永長2年(1097年)の年記ある紙片が発見され、仏像の実際の制作年代が11世紀末で…