富里神明神社は、江戸時代中期の享保年間(1720年頃)に勧請されたと伝わる。当地「御料」の地名は、幕府および後に皇室の御料牧場が置かれたことに由来し、この一帯は古くから国家的な牧畜・馬産の拠点として知られていた。18世紀に入り伊勢講の組織化が各地で進むと、御料牧場の関係者や周辺の農民らが伊勢信仰への篤い帰依を示し、天照大御神を祀る神明神社を勧請したとされる。社殿は神明造で造営され、伊勢神宮への遥拝所としても機能した。明治維新以降、近代社格制度のもとで村社に列せられたと伝わり、地域の氏神として崇敬を集めた。明治以降に御料牧場の管理体制が整備されると、牧場関係者の信仰もより組織的なものとなったとさ…