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PERSON
三浦按針
三浦按針
青い目の侍
1564-1620 · 享年 56歳
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生涯
ウィリアム・アダムスは1564年、イングランド南東部ケント州ジリンガムに生まれた。12歳で船大工の親方に弟子入りし、造船術と航海術を身につけた。イギリス海軍に入りスペイン無敵艦隊との戦い(1588年)にも参加したとされる。1598年、オランダ船団のリーフデ号の航海士として東洋を目指し出航。嵐と壊血病で乗組員の大半を失いながらも、1600年4月19日に豊後(現・大分県臼杵)に漂着した。生存者はわずか24名であった。イエズス会の宣教師たちはアダムスを「海賊」として処刑するよう進言したが、徳川家康はアダムスを大坂城に呼び出して直接面談し、その航海知識、数学、造船技術に深い関心を示した。以後、家康の外交顧問として重用され、ヨーロッパ情勢やキリスト教諸宗派の対立について助言した。家康の命により、伊東(静岡県)で日本初の西洋式帆船を二隻建造。80トン級と120トン級の船はそれぞれ試験航海に成功し、家康を大いに喜ばせた。1604年頃には武士身分を与えられ、三浦半島の逸見(現・横須賀市)に250石の領地を拝領。「三浦按針」の名を賜った。「按針」は「水先案内人(パイロット)」を意味し、彼の航海士としての技量を称えたものである。日本人妻との間に子をもうけ、二つの文化の間で暮らした。晩年は家康の死後に影響力が低下し、1620年に平戸で56歳で没した。ジェームズ・クラヴェルの小説『将軍 SHŌGUN』のモデルとなり、2024年のテレビドラマ版は世界的ヒットとなった。
人物像
知的好奇心が旺盛で適応力に優れた人物。異国の文化を受け入れながらも自らの技術者としてのアイデンティティを失わなかった。家康からの信頼は厚く、誠実で実直な性格が評価された。
歴史的意義
日本で侍の身分を得た最初のイギリス人として歴史に名を刻む。日本初の西洋式帆船を建造し、家康の外交政策に大きな影響を与えた。ジェームズ・クラヴェルの小説『将軍 SHŌGUN』のモデルとして世界的に知られ、2024年のテレビドラマは各国で高い評価を受けた。横須賀市には按針塚(墓)と記念碑があり、毎年「按針祭」が開催されている。
逸話・エピソード
家康との運命の面談
1600年、リーフデ号で漂着したアダムスは、イエズス会の宣教師たちから「海賊」と告発され処刑の危機に瀕した。しかし家康はアダムスを直接大坂城に呼び出し、数度にわたって面談した。アダムスが世界地図を広げて航海ルートを説明し、ヨーロッパの国際情勢やプロテスタントとカトリックの対立を語ると、家康は深く感銘を受けた。特にオランダやイングランドが布教ではなく純粋に交易を求めていることを知り、家康はイエズス会への不信感を強めた。この出会いが、後の日本の外交政策を大きく変えることになる。
日本初の西洋式帆船建造
家康の命により、アダムスは伊東(現・静岡県伊東市)の松川河口で西洋式帆船の建造に着手した。日本の船大工たちと協力し、まず80トン級の船を完成させ、続いて120トン級の大型船を建造した。いずれも試験航海に成功し、家康を大いに満足させた。120トン級の船は後にスペインの前フィリピン総督ロドリゴ・デ・ビベロをヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)に送還する際に使用され、太平洋横断を果たした。造船の地・伊東市には「按針メモリアルパーク」が整備されている。
二つの世界に生きた侍
アダムスはイングランドに妻子を残したまま、日本で新たな家庭を築いた。三浦半島の逸見に250石の領地を持ち、日本人妻との間に息子ジョセフと娘スザンナをもうけた。武士として刀を帯び、日本語を流暢に話し、家康の外交交渉の場に同席した。一方で母国への帰国を何度も願い出たが、家康は彼の知識を手放すことを拒み、終生帰国は叶わなかった。「帰りたいが帰れない」——東西の文化の間で引き裂かれながらも、日本の地に骨を埋めた青い目の侍の物語は、時代を超えて人々の心を打つ。
名言
「東の果てに、西の知恵を運ぶ。これもまた航海なり」
「海の向こうに敵はおらぬ。ただ未知なる友があるのみ」
ゆかりの地 — 8
平戸城
長崎県
慶長18年(1613年)、三浦按針(ウィリアム・アダムス)は平戸にイギリス東インド会社の商館を開設する仲介役を果たした。按針の尽力により平戸はイギリスとの貿易拠点となり、オランダ・ポルトガルに加えてイギリスとも交易する国際貿易港として繁栄した。按針自身も平戸に屋敷を構え、晩年をこの地で過ごした。
按針塚(三浦按針の墓)
神奈川県
三浦按針(ウィリアム・アダムス)は1600年にオランダ船リーフデ号で豊後に漂着したイギリス人航海士。徳川家康に重用され、外交・造船・貿易の顧問として仕えた。家康は按針に三浦郡逸見の領地250石を与え、按針はこの地に屋敷を構えて日本人妻と暮らした。按針の死後、この墓所が築かれ、日英交流の原点として国の史跡に指定されている。
葛見神社
静岡県
慶長9年(1604年)、徳川家康の命を受けた三浦按針(ウィリアム・アダムス)は、伊東の松川河口付近で日本初の洋式帆船を建造した。按針はオランダ人航海士らと協力し、約80トンの西洋式帆船を完成させ、家康に献上した。この偉業は日本の造船技術史における画期的な出来事であり、伊東の地が日本の洋式造船発祥の地として歴史に刻まれるきっかけとなった。
塚山公園(三浦按針の墓)
神奈川県
三浦按針は元和6年(1620年)に平戸で56歳で没したが、遺言によりこの逸見の地に葬られた。家康から賜った領地のすぐ近くで、日本人妻と暮らした思い出の地に眠る。墓石は按針と妻のものが並んで立ち、東西の文化が融合した異色の侍の生涯を物語る。
平戸オランダ商館
長崎県
三浦按針(ウィリアム・アダムス)は平戸を西洋貿易の拠点として発展させる上で重要な役割を果たした。1609年にオランダ商館が設立された後、按針は1613年にイギリス東インド会社の商館長リチャード・コックスを平戸に迎え入れ、イギリス商館の設立を実現させた。按針自身も晩年は平戸を拠点に東南アジアとの朱印船貿易に従事し、1620年にこの地で没した。
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