1600年(慶長5年)、イギリス人航海士ウィリアム・アダムスはオランダ船デ・リーフデ号の操舵手として豊後(現在の大分県)に漂着した。徳川家康はアダムスの航海・造船・砲術の知識を高く評価し、外交顧問として召し抱えた。家康はアダムスに三浦郡逸見(現・横須賀市)の地を領地として与え、日本名「三浦按針」を名乗ることを許した。按針は日本で妻帯し、家族とともに逸見の地に縁を持ちながら、幕府の外交・貿易政策に深く関与した。1620年(元和6年)、按針は長崎・平戸において没した。享年55歳とされる。その後、かつての所領に近い逸見の地に墓所が設けられ、按針とその日本人妻の墓が建てられたと伝わる。江戸時代を通じて…