薩摩藩第11代藩主。幼少より蘭学・西洋科学に深い関心を持ち、藩主就任後(1851年)は殖産興業・富国強兵を積極的に推進した。西洋式軍艦・大砲・鉄砲の製造、紡績業・ガラス・電信機などの技術導入を主導し、日本最初の洋式軍艦「昇平丸」を建造した。また日本で初めてガス灯・電信・写真を試みた先進的な人物でもある。薩摩藩士・西郷隆盛・大久保利通ら後の維新の立役者を積極的に登用し、その才能を育てた。松平春嶽・山内容堂・伊達宗城とともに「幕末四賢侯」の一人に数えられた。将軍継嗣問題では一橋慶喜を推し、大老・井伊直弼と対立した。1858年7月16日、藩主就任からわずか7年で49歳の若さで急死した。死因については不審点もあり毒殺説もある。斉彬の薨去は薩摩藩の路線に大きな影響を与え、西郷ら志士に深い悲しみをもたらした。仙巌園(磯庭園、現・鹿児島市)は彼の時代に整備された名勝として今も多くの観光客が訪れる。