木戸孝允は天保4年(1833年)、長州藩(現・山口県萩市)の藩医・和田昌景の長男として生まれました。8歳で藩士・桂家の養子となり「桂小五郎」を名乗ります。
藩校明倫館で学んだ後、江戸では剣客・斎藤弥九郎の練兵館に入門し塾頭まで上り詰めました。吉田松陰とも交流を深め、尊王攘夷運動に身を投じます。
安政の大獄(1858年)後から政治活動が活発化し、長州藩を代表する政治指導者として存在感を示すようになりました。
元治元年(1864年)の**禁門の変(蛤御門の変)**で長州軍が敗退すると、桂小五郎は新選組や幕府の追っ手を逃れて約2年間の潜伏生活を余儀なくされました。
京都・但馬・出石など各地を転々としながら生き延びた木戸を陰で支えたのが、祇園の芸妓・幾松(後の妻・松島竜)でした。幾松は幕府側の刺客から木戸をかばい、危険を冒して情報収集と連絡も行ったとされます。
この過酷な潜伏生活の中で、木戸は感情よりも理性と大局観を重んじる政治スタイルを確立していったと言われています。