平安初期の唐風書道を代表する三人——空海(774-835)、嵯峨天皇(786-842)、橘逸勢(?-842)を指します。後の和様書道を代表する「三跡」(小野道風・藤原佐理・藤原行成)と区別されます。
確実な真筆は残っていません。伝・逸勢筆として伝わる書(『伊都内親王願文』など)が東京国立博物館・京都国立博物館などに所蔵されますが、いずれも真筆性に議論があります。
842年、嵯峨上皇崩御直後に起きた藤原氏による政変。皇太子・恒貞親王の側近(伴健岑・橘逸勢ら)を謀反の罪で排除し、藤原良房の権力基盤を強化した。藤原北家による摂関政治確立の重要な一段階。
『日本三代実録』『古今著聞集』などに記録され、中世以降の歌物語・浄瑠璃で広く伝えられました。父娘の絆と無実の死を描く悲劇的物語として、平安〜中世日本の文学・芸能に影響を与えました。
橘逸勢の伊豆配流(842年予定・到達せず)から約340年後、源頼朝が伊豆に流され(1160年)、後の鎌倉幕府開創へとつながります。伊豆は古代から流刑地として知られ、頼朝・源実朝以降も多くの罪人が送られました。