崇徳院・菅原道真・早良親王の三人を指すのが一般的。三人とも政治闘争で敗れ、無実の罪で死去後に怨霊化したと信じられました。崇徳が頂点とされる理由は呪詛の凄まじさと、明治期まで続く長期的な祟り伝説にあります。
明治元年(1868年)、明治天皇即位の際に崇徳の霊が祟ることを恐れた新政府が、讃岐白峯陵から京都に霊を迎えて造営しました。場所は崇徳の生誕地に近く、平安朝の蹴鞠の神を祀る飛鳥井家邸宅跡。「サッカー・球技の神」としても現代有名です。
讃岐配流中の崇徳が血で写経した記録は『保元物語』など中世軍記に伝えられますが、現存する物理的真本はありません。伝説か事実かは議論があります。京都・国立博物館などに伝・崇徳院筆とされる経が残ります。
「崇徳」は「徳を崇(あが)める」の意で、怨霊を慰めるための諡。元来は「讃岐院(さぬきいん)」と呼ばれていたが、安元三年(1177年)に祟りを恐れた朝廷が「崇徳院」と改めました。後の「後鳥羽→顕徳→後鳥羽」改諡と類似する怨霊対策。
香川県坂出市の白峯山にある宮内庁管轄の御陵。陵域は立ち入り禁止ですが、参拝門で礼拝できます。隣接の白峯寺(四国88所第81番札所)と合わせて訪れるのが定番。崇徳院の最期の地を実感できる稀有な聖地です。