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清少納言と枕草子——春はあけぼのに宿る「をかし」の美学と忠誠
清少納言は平安中期を代表する随筆作家で、一条天皇の中宮・藤原定子に仕えた才女。代表作「枕草子」の冒頭「春はあけぼの」は千年を超えて読み継がれる日本語散文の名文だ。「をかし」の美学で自然と宮廷生活を描いた清少納言が、紫式部と並ぶ平安文学の巨人へと成長した背景と、定子への揺るぎない忠誠心を分かりやすく解説する。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
一
清少納言とはどんな人物か
›
二
枕草子——「をかし」の美学とは
›
三
藤原定子への絶対的な忠誠
›
四
清少納言と紫式部——二つの美意識
›
五
ゆかりの地を訪ねよう
›
六
よくある質問
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清少納言の肖像——「枕草子」の作者として千年後も読み継がれる平安の才女
Wikimedia Commons / Public Domain
「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山ぎは……」——千年を超えて読み継がれるこの一文が、清少納言の「枕草子」の書き出しです。
「枕草子」は、紫式部の「源氏物語」とともに平安文学の双璧をなし、中学校の国語教科書に必ず登場する作品。その作者・清少納言はどんな人物で、なぜこの随筆を書いたのでしょうか。
清少納言とはどんな人物か
歌人の娘として育った才女
清少納言(せいしょうなごん・966年頃〜1025年頃)は、三十六歌仙の一人に数えられる歌人・清原元輔の娘として生まれました。父から幼い頃より和歌・漢詩の教育を受けた才媛です。
「清少納言」という名前は本名ではなく、父の姓「清原」と父の官職名「少納言」を組み合わせた女房名(宮中での呼び名)です。
一条天皇の皇后・藤原定子のもとへ
993年頃、清少納言は一条天皇の皇后(中宮)・藤原定子のもとに女房として出仕しました。定子は当時の最高権力者・藤原道長の姪にあたり、美貌と教養で知られた皇后でした。
清少納言と定子の関係は、単なる主従を超えた絆でした。清少納言は定子の知性と優しさに深く惹かれ、宮廷生活の輝かしい日々を「枕草子」に書き留めました。
平安京の復元模型——清少納言が暮らした平安時代の都・京都の姿
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
枕草子——「をかし」の美学とは
「春はあけぼの」が伝えるもの
枕草子の冒頭は、四季の「をかし」(趣深い・おもしろい)場面を次々に描いた名文です。
季節
をかしの場面
原文のポイント
春
夜明けの山の端が白んでいく様子
「やうやう白くなりゆく山ぎは」
夏
夜、蛍が飛び交う様子
「夜はいとをかし」
秋
夕暮れに烏が連なって飛ぶ様子
「夕日のさして山の端いと近うなりたるに」
冬
早朝に急いで炭を起こす様子
「炭持て渡るもいとつきづきし」
「をかし」とは、知的な面白さや自然の美しさへの感動を表す平安時代の美意識です。紫式部が「もののあはれ」(しみじみとした感動)を追求したのとは対照的に、清少納言は
明るく機知に富んだ視点で世界を捉えました
。
約300段に及ぶ多彩な内容
枕草子は約300段からなり、内容は多岐にわたります。
•
類聚段(るいじゅだん)
: 「よきもの」「にくきもの」「すさまじきもの」など、ものを分類した段
•
随想段(ずいそうだん)
: 自然の美しさや人の行動への感想
•
日記的章段
: 宮廷での出来事を具体的に記した段
中でも「香炉峰の雪」の段は名高い逸話です。雪の朝、定子が「香炉峰の雪はどんなものかしら」と問うと、清少納言は無言で御簾を高く巻き上げました。これは白居易の漢詩「香炉峰の雪は簾をかかげて看る」を即座に踏まえた機知の行動であり、居合わせた人々は感嘆したと伝わります。
平安時代の宮廷儀式——清少納言が枕草子に記した宮廷生活の雅やかな世界
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
藤原定子への絶対的な忠誠
道長の台頭と定子の不遇
清少納言が宮中に出仕した990年代は、藤原道長が権力を握っていく激動の時代でした。道長は定子の父・藤原道隆の死後(995年)に権力を掌握し、定子は次第に宮廷での立場を失っていきました。
道長は自分の娘・彰子を一条天皇に入内させ、定子と対立させます。定子は29歳で亡くなりますが、その前年には道長との政治的対立の中で宮廷生活から遠ざかる時期もありました。
枕草子は「記憶の栄光」を書き留めた作品
そのような状況でも、清少納言は枕草子の中で一貫して
定子の美しさと知性と優しさ
を細やかに描き続けました。
枕草子には定子が不遇だった時期の記述がほとんどありません。これは意図的に「栄光の時代の定子」だけを書き留めようとした清少納言の覚悟と忠誠心の表れと多くの研究者が見ています。
〝
「記憶の中の栄光を書き残す」——これが枕草子誕生の動機だったと伝わります。
百人一首の歌合わせ——平安の才女たちが詠んだ和歌が今も受け継がれている
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
清少納言と紫式部——二つの美意識
同時代のライバルの視点
同じ時代を生きた
紫式部
は、日記の中で清少納言をこう評しています。「清少納言は得意そうに漢字を書き散らしているが……」と批判的に記しました。
しかし二人のスタイルは、敵対というよりも
対をなす二つの美意識の極
として捉えるのが正確です。
比較項目
清少納言
紫式部
代表作
枕草子(随筆)
源氏物語(長編物語)
美意識
をかし(明るい知的な面白さ)
もののあはれ(しみじみとした感動)
文体
明快で機知に富む
情緒的で内省的
仕えた主人
藤原定子(一条帝の皇后)
藤原彰子(一条帝の中宮)
二人は同じ一条天皇の宮廷で、それぞれ異なる后に仕えた才女でした。
藤原道長
の時代に花開いた平安文化は、この二人の天才がいなければ今日の輝きを持ち得なかったでしょう。
ゆかりの地を訪ねよう
清少納言が仕えた定子の菩提を弔う寺社は、京都に残っています。
泉涌寺
は、真言宗泉涌寺派の総本山で、皇室ゆかりの寺院として「御寺(みてら)」とも呼ばれます。清少納言が仕えた藤原定子の命日法要とも縁のある場所で、菊花紋の寺院として知られます。静かな境内で平安時代の宮廷文化に思いをはせてみてください。
境内の塔頭・
泉涌寺雲龍院
は、写経や坐禅の体験ができる静寂な空間で、平安宮廷の優雅な世界を肌で感じながら参拝できます。
清少納言の人物ページ
では、枕草子のさらなる名場面や生涯の詳細を知ることができます。
平安時代の宮廷装束——清少納言が枕草子で描いた平安宮廷の美の世界
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
よくある質問
清少納言の本名は何ですか?
本名は伝わっていません。「清少納言」は女房名(宮中での通り名)で、父の姓「清原」と父の官職「少納言」を組み合わせたものです。最初の夫は橘則光、娘も歌人として知られています。
「枕草子」というタイトルの意味は?
由来には諸説あります。「枕」は就寝前に手元に置く本(枕元の草紙)という意味という説、定子が与えた紙に書いたとする説など複数あります。「草子」は「冊子・ノート」の意味です。平安時代の女房たちが書き綴った随筆の代名詞として今日も用いられています。
紫式部と清少納言は仲が悪かったのですか?
二人が直接対面した記録はなく、「仲が悪かった」は正確ではありません。紫式部の日記には清少納言への批評が記されていますが、それは同時代のライバル意識や異なる美意識の表れです。二人は主に異なる后に仕えており、現在では「日本美学の双璧」として並び称されています。
最終更新日:2026年6月3日
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この記事の人物
清
清少納言
枕草子の作者
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詣
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