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犬を将軍より大切にした法律?徳川綱吉と生類憐みの令
五代将軍・徳川綱吉が出した「生類憐みの令」は、犬・猫・魚・虫まであらゆる生き物の殺生を禁じた法律だ。「犬公方」と揶揄され悪法とされる一方、近年は「動物愛護・福祉政策の先駆け」という再評価もある。賛否の分かれるこの法令の実像を解説する。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
生類憐みの令とは
なぜ犬だったのか
悪法か、先進的な政策か
ゆかりの地を訪ねよう
よくある質問
湯島聖堂(東京)——綱吉が儒教振興のために再建した孔子廟。生類憐みの令とともに「命を尊ぶ」文治政治の象徴
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
「蚊を叩いただけで罰せられる」——そんな極端な法律が、江戸時代に本当にありました。「生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)」です。
出したのは五代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)でした。
生類憐みの令とは
1685年から段階的に発令されたこの法令は、あらゆる生き物の殺生を禁じるものでした。
犬・猫・鳥・魚・貝・虫——すべての生き物を殺してはならない
特に犬の保護が徹底された
病気の馬を捨てることも禁止
違反者は遠島(島流し)や死罪などの厳罰
なぜ綱吉はここまで極端な法律を作ったのでしょうか。
江戸城——綱吉が将軍として君臨し、生類憐みの令を発した幕府の中枢
Wikimedia Commons / Public Domain
なぜ犬だったのか
綱吉は跡継ぎの男子に恵まれませんでした。僧侶の隆光が「前世の殺生が原因です。特に綱吉様は戌(いぬ)年生まれなので、犬を大切にすれば子が授かるでしょう」と進言したとされます。
これを信じた綱吉は、特に犬の保護を徹底しました。江戸の中野などに巨大な「御用犬小屋(およういぬごや)」が作られ、野良犬が大量に収容・保護されました。その費用は莫大で、庶民の税負担が増えました。
人々は綱吉を「犬公方(いぬくぼう)」と陰で揶揄しました。
悪法か、先進的な政策か
湯島聖堂の孔子像——綱吉は儒学を重んじ、自ら家臣に論語を講義した。元禄文化が花開いた時代
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
生類憐みの令は長く「天下の悪法」とされてきました。庶民を苦しめ、行き過ぎた動物保護で社会を混乱させたという評価です。
しかし近年は別の見方も出てきています。
当時は捨て子・病人の遺棄・動物虐待が横行していた
この法令には「捨て子の保護」「病人の保護」も含まれていた
「命を大切にする」という価値観を社会に根付かせた
つまり「行き過ぎた面はあったが、命を尊重する社会への転換を促した先駆的な政策」という再評価です。戦国時代の「殺伐とした空気」を、平和な時代の「命を大切にする空気」へ変える役割を果たしたとも言えます。
ゆかりの地を訪ねよう
綱吉は儒学を重んじ、湯島に聖堂を整備しました。湯島聖堂(東京都文京区)は綱吉が再建した孔子廟で、綱吉の文治政治を象徴するスポットです。
徳川綱吉のゆかりの地一覧でほかのスポットも確認してください。
よくある質問
本当に蚊を叩いて罰せられた人がいたの?
極端な事例として伝わる話ですが、実際にどこまで厳格に運用されたかは諸説あります。ただし犬を傷つけて重罰を受けた記録は残っています。
生類憐みの令はいつ廃止されたの?
1709年に綱吉が亡くなると、次の将軍・家宣によってすぐに廃止されました。綱吉個人の信念に強く依存した法令だったことが分かります。
最終更新日:2026年6月3日
── 了 ──
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