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「女であるから逃げよ」——義仲と巴御前の最期の別れ
木曾義仲の愛妾・巴御前(ともえごぜん)は弓の名手で武勇に優れた女武者として有名だ。粟津の戦いで義仲が最期を迎える直前、「女であるから逃げよ」と巴に命じた義仲。巴は最後に敵将の首を取ってから戦場を去ったという。日本の女武者伝説を代表する巴御前の物語を解説する。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
巴御前はどんな人物か
粟津の戦いの別れ
巴御前のその後
なぜ巴御前は有名なのか
ゆかりの地を訪ねよう
よくある質問
源氏の兜——義仲も源氏の武将として平家と戦った。巴御前は義仲とともに多くの戦いに従軍した
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
「女武者」という言葉があります。武芸に優れた女性のこと。日本の歴史でもっとも有名な女武者が**巴御前(ともえごぜん)**です。
巴御前はどんな人物か
巴御前は木曾義仲の側室(愛妾)でした。「平家物語」には次のように描かれています。
「巴は色白く髪長く、容顔まことに美麗にして、弓矢を取っては一人当千の強弓精兵、馬乗りの扱いも達者で、いかなる荒馬をも乗りこなした」
つまり美しいだけでなく、弓の名手で馬の扱いも武者以上だったというのです。義仲は「一人当千の強弓精兵」として巴を評価し、多くの戦いに従軍させました。
能の舞台——巴御前の物語は能・歌舞伎でも演じられ、日本の女武者伝説の代表として語り継がれる
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
粟津の戦いの別れ
1184年、義仲は従兄弟・頼朝が派遣した義経・範頼軍に敗れ(宇治川の戦い)、大津(現・滋賀県)に向けて逃走しました。
粟津(あわづ、現・大津市)の戦いで義仲は少数の兵しか残っていませんでした。もはや逃げ場がありません。
義仲は巴に言いました。「お前は女だから早くこの場を去れ。私は討ち死にを覚悟している」。
巴はすぐには動きませんでした。そして最後に——敵の武将一人の首を取り、「この首をみやげに持参する者もなし。殿、ご覧あれ」とばかりに敵将を組み伏せて首を取り、東の方向へ去っていったとされています。
鶴岡八幡宮——源氏の聖地。義仲・巴御前が戦った時代の源平の歴史を感じる場所
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
巴御前のその後
「平家物語」の記録はここで巴御前の話が途切れます。
「その後どこへ行ったか定かではない」としているものもあれば、「後に出家して義仲の菩提を弔った」という伝説もあります。
現在、石川県・富山県・長野県など義仲ゆかりの地に巴御前を祀る場所や石碑が点在しています。
なぜ巴御前は有名なのか
巴御前が現代まで語り継がれる理由の一つは、「強さと美しさを両立させた女性」という理想的な人物像を体現しているからです。
現代の漫画・ゲーム・アニメでも「女武者」「薙刀使い」キャラクターのモデルとして巴御前が引用されることは少なくありません。
ゆかりの地を訪ねよう
鶴岡八幡宮(鎌倉市)は源氏の聖地として、義仲・巴御前が戦った時代の歴史を感じる場所の一つです。
木曾義仲のゆかりの地一覧でほかのスポットも確認してください。
よくある質問
巴御前は本当に実在したの?
「平家物語」に登場する人物ですが、実在の人物かどうかは不明です。平家物語は後世に加筆されている部分も多く、巴御前の記述が史実かどうかは分かりません。
義仲はどんな最期を迎えたの?
粟津の戦いで討ち取られました。史料によれば、泥沼に馬が足を取られ動けなくなったところを射られ、31歳で亡くなりました。
最終更新日:2026年6月3日
── 了 ──
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