なぜ280社も存在するのか — 武士の信仰と江戸の都市拡大
氷川神社が急増した最大の転機は平将門の乱(939年)だ。将門討伐を遂げた平貞盛が、出陣前に大宮氷川神社で戦勝祈願をして乱を平定したと伝わる。この「ご利益」が武士たちの間で瞬く間に広まり、関東の武士たちが競うように氷川の神を自領へ勧請(神霊を新たな地に迎えること)するようになった。
源頼朝も鎌倉幕府を開く際に武蔵の神々に祈願し、室町時代には足利将軍家も崇敬した。氷川信仰は武家政権と歩みをともにしながら、東国全体に浸透していった。
決定的に社数が跳ね上がったのは江戸時代だ。江戸城の鬼門(北東)を守る神社として徳川幕府が大宮氷川神社を手厚く保護し、将軍の崇敬が庶民にも波及した。
当時の武蔵国では、村ごとに鎮守(土地の守り神)を置く慣習があった。各村が競うように氷川神社を勧請した結果、荒川・隅田川の流域を中心に社数が急増した。水辺の神・スサノオへの信仰と、農業用水を管理する荒川流域の村落の利害が一致したことも、この地域への集中を後押しした。