安徳天皇の歴史と水天宮の成立——なぜ全国に広まったか
総本社・久留米水天宮の創建は古く、平安時代末期に源平合戦で敗れた平家の残党が九州に落ち延びた際、安徳天皇と建礼門院を偲んで筑後川のほとりに祀ったのが始まりと伝えられる。その後、久留米藩主・有馬氏が篤く信仰し、藩の鎮守として整備した。
全国的な知名度を獲得したのは江戸時代である。久留米藩有馬家の江戸上屋敷(現・東京都港区赤羽橋周辺)に水天宮が勧請され、江戸市民が参拝できるよう月に2回境内を開放したことで急速に人気を集めた。
明治時代に有馬家上屋敷の移転に伴い、現在の日本橋蛎殻町に移座。隅田川・日本橋川に近い地の利もあり、水辺の商人・船頭・漁師たちの信仰を集めた。
水天宮で最も賑わうのが「戌の日」の安産祈願参拝である。戌(犬)は多産で安産な動物として知られており、その日に参拝することで安産が約束されるという信仰が江戸時代から続く。
東京・日本橋の水天宮は戌の日になると行列ができるほどの盛況で、現代でも安産祈願の神社として全国屈指の参拝者数を誇る。**岩田帯(腹帯)**のお守りは安産祈願の代名詞となっており、妊娠5ヶ月目の戌の日に授かるのが定番となっている。