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鶴岡八幡宮の歴史と正しい参拝作法——鎌倉の総鎮守を深く知るガイド
1063年に源頼義が由比若宮を勧請した由緒を持ち、源頼朝が現在地に遷座した鎌倉最大の神社。本宮・舞殿・源平池・大銀杏の見どころ、二礼二拍手一礼の参拝作法、頼朝の墓・政子の墓・寿福寺・江柄天神など周辺史跡との巡礼コース付き。
目次
MOKUJI
鶴岡八幡宮の歴史——源氏の守護神から鎌倉の総鎮守へ
境内の見どころ——本宮・舞殿・源平池・大銀杏の読み方
正しい参拝作法——二礼二拍手一礼の手順と境内マナー
鶴岡八幡宮周辺の史跡——巡礼コース提案
よくある質問
鶴岡八幡宮は鎌倉幕府そのものの象徴だ——源頼朝が1180年に現在地に遷座して以来、幕府の政務・儀礼・武の祭祀のすべてがここを軸に行われてきた。二礼二拍手一礼の参拝作法を守りながら、総門から本宮まで段葛(だんかずら)を歩くことで、鎌倉武士の精神に触れることができる。
鶴岡八幡宮の全景。源頼朝が整備した鎌倉の総鎮守
Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0 / photo by U-Kane
鶴岡八幡宮の歴史——源氏の守護神から鎌倉の総鎮守へ
鶴岡八幡宮の起源は康平6年(1063年)にさかのぼる。
鶴岡八幡宮の創建はどのようなものか?
前九年の役(1051〜1062年)に勝利した**源頼義(みなもとのよりよし)**が、京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)を由比ヶ浜(ゆいがはま)の地に勧請(かんじょう)したのが始まりだ。当初は「由比若宮(ゆいわかみや)」と呼ばれた。
源頼朝はなぜ現在地に移したか?
治承4年(1180年)、平氏打倒の挙兵をした源頼朝は、由比若宮を現在の小林郷北山(現・雪ノ下)に遷座(せんざ)した。山の南斜面に境内を構え、正面に真っ直ぐに伸びる参道・段葛を整備することで、武家の精神的中心地としての体裁を整えた。文治3年(1187年)には下拝殿(現・舞殿)を建立し、以来鎌倉幕府の守護神として最高位の地位を保ち続ける。
承久の乱での鶴岡八幡宮の役割は?
承久3年(1221年)、後鳥羽上皇が北条義時追討の院宣を発した際、北条政子が御家人たちに訴えた演説はここ鶴岡八幡宮の境内で行われたとされる。「頼朝公の恩は山よりも高く海よりも深い」という政子の言葉が御家人の結束を回復させた歴史的な場所だ。
鶴岡八幡宮の舞殿(下拝殿)。静御前が源義経を慕う舞を披露した場所
Wikimedia Commons / CC BY 4.0 / photo by Kirin7739
境内の見どころ——本宮・舞殿・源平池・大銀杏の読み方
鶴岡八幡宮の境内には、それぞれ深い歴史的意味を持つスポットが点在している。
本宮(ほんぐう)・若宮(わかみや)の祭神は何か?
**本宮(上宮)**には応神天皇(八幡神)・比売神(ひめがみ)・神功皇后(じんぐうこうごう)の三柱が祀られている。本宮は石段の上に建ち、朱塗りの社殿が鮮やかだ。**若宮(下宮)**は源頼朝が由比ヶ浜から遷した最初の鎮座地を守る形で設けられており、応神天皇の子・仁徳天皇などを祀る。
舞殿(ぶでん)——静御前が舞った「下拝殿」
舞殿(まいでん)(別称・下拝殿)は、源義経の愛妾・**静御前(しずかごぜん)**が頼朝の前で義経を思う白拍子の舞を舞った場所として名高い。源平池の北岸に面して建つ朱色の優美な建物で、今も境内行事・舞の奉納が行われる。
源平池(げんぺいいけ)の「蓮の色の意味」は?
本宮の前に広がる二つの池が源平池だ。東側(源氏池)には白い蓮が咲き、西側(平家池)には紅い蓮が咲く。白は「白旗を掲げる源氏」、紅は「平家」の象徴だ。夏(7月〜8月)の蓮の見頃には特に美しい。
大銀杏(おおいちょう)——実朝暗殺の舞台となった樹
三代将軍・源実朝が正治2年(1219年)に甥・公暁(くぎょう)に暗殺されたとき、公暁が隠れていたとされるのが本宮石段脇の大銀杏だ。2010年3月に強風で倒伏したが、切り株と新たな株が育ち「再生した大銀杏」として今も参拝者を迎えている。
源頼朝像(神護寺蔵)。鶴岡八幡宮を整備した鎌倉幕府初代将軍
Wikimedia Commons / Public Domain / Fujiwara no Takanobu (attr.)
正しい参拝作法——二礼二拍手一礼の手順と境内マナー
神社での参拝は作法を守ることで、より深い体験になる。
二礼二拍手一礼の手順
1.
鳥居をくぐる前に軽く一礼する
2.
参道(段葛)は中央を避けて端を歩く(中央は神様の通り道)
3.
手水舎(てみずや)で両手・口を清める
4.
本宮の賽銭箱の前に立ち、姿勢を正す
5.
深いお辞儀(二礼):深く2回礼をする
6.
拍手(二拍手):両手を少しずらして2回打つ
7.
両手を合わせてお祈り(願い事を心で唱える)
8.
最後のお辞儀(一礼):深く1回礼をする
境内マナー一覧
場所
マナー
鳥居
一礼してからくぐる
段葛(参道)
中央ではなく端を歩く
手水舎
必ず清めてから参拝
本宮社殿内
写真撮影不可の場合あり(案内に従う)
おみくじ
結果に関わらず境内のみくじ所に結ぶのが作法
鶴岡八幡宮の境内。本宮へと続く大石段と朱塗りの楼門
Wikimedia Commons / CC BY 2.0 / photo by Stéphane Gallay
鶴岡八幡宮周辺の史跡——巡礼コース提案
鶴岡八幡宮を拠点に周辺の史跡を巡るコースを案内する。
鶴岡八幡宮周辺の主要史跡
スポット
特記事項
所要時間
頼朝の墓(白旗神社)
八幡宮から徒歩5分
15〜20分
政子の墓(寿福寺)
北鎌倉方面・五山第三位
30〜40分
寿福寺
政子創建・五山第三位
30〜40分
法華堂跡
頼朝・義時の持仏堂跡
15〜20分
荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)
日本三天神の一、菅原道真
20〜30分
由比ガ浜
由比若宮の発祥地
20〜30分
推奨参拝コース(鎌倉1日コース)
鎌倉駅→鶴岡八幡宮(本宮・舞殿・源平池)→頼朝の墓(白旗神社)→法華堂跡荏柄天神社(三天神の一)→北鎌倉へ移動→寿福寺(政子の墓)。所要約4〜5時間。
参拝時の実用情報
鶴岡八幡宮は年中無休・無料(宝物殿は有料)
開門時間は6時〜20時30分(時期により変動あり)
正月三が日・例大祭(9月15〜16日)前後は特に混雑
段葛(さんかずら)の桜は3月下旬〜4月上旬が見頃
鶴岡八幡宮の若宮(下宮)の屋根。八幡造りの特徴的なH字型構造
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0 / photo by Urashimataro
よくある質問
鶴岡八幡宮の御祭神(祀られている神様)は誰か?
主祭神は**応神天皇(八幡神)**で、正式名称は「八幡大神(はちまんおおかみ)」。武神・弓矢の神として武士の崇敬を集めた。本宮には応神天皇・比売神(六柱の総称)・神功皇后が祀られる。若宮には応神天皇の子・仁徳天皇などが祀られる。
二礼二拍手一礼とは何か?
神社の標準的な参拝作法で、「二礼(深いお辞儀を2回)→二拍手(柏手を2回)→一礼(深いお辞儀を1回)」の順で行う作法だ。拍手は両手を少しずらし(右手を若干引いて)打つと音が出やすい。参拝前には必ず手水舎で手と口を清めること。
大銀杏はなぜ有名か?
2010年の倒伏まで樹齢約1,000年・幹周約7メートルの大銀杏が本宮石段脇に立っていた。三代将軍・源実朝暗殺時(1219年)に公暁が身を潜めたという伝説から「隠れ銀杏(かくれいちょう)」とも呼ばれ、鎌倉幕府の歴史の目撃者として親しまれてきた。倒伏後、切り株から新たな芽が出て現在も成長しており「再生の銀杏」として参拝者に親しまれている。
荏柄天神社とはどのような神社か?
荏柄天神社(鎌倉市二階堂)は、菅原道真を祀る「日本三古天神」の一つに数えられる古社で、京都・北野天満宮、福岡・大宰府天満宮と並ぶ。北条政子をはじめ、歴代執権の崇敬を受けた。学問の神・合格祈願の神として知られ、受験シーズンには絵馬がびっしりと掛けられる。鶴岡八幡宮から徒歩10〜15分の距離にある。
静御前が舞を披露したのはいつのことか?
建久元年(1190年)、鶴岡八幡宮の放生会(ほうじょうえ・捕らえた生き物を放す儀式)に際して、頼朝が義経の愛妾・静御前に舞を命じた。静御前は義経を慕う舞を披露し、頼朝を怒らせたが、政子の取りなしで命を助けられたと伝わる。舞が奉納された場所が現在の**舞殿(まいでん)**で、その逸話は今も境内に息づいている。
鶴岡八幡宮の牡丹苑。石灯籠とともに咲き誇る牡丹の花
Wikimedia Commons / Public Domain / photo by Urashimataro
最終更新: 2026年4月25日
── 了 ──
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