鎌倉幕府の成立年は1185年と1192年、どちらが正しい?
現在の学術的通説では1185年(文治元年)とする説が有力。この年に守護・地頭設置権を朝廷に認めさせ、実質的な武家支配体制が確立したとみる。1192年は征夷大将軍任命の年で、制度上の「将軍」が生まれた年に過ぎず、支配体制そのものはすでに整っていた。教科書では近年「1185年成立」が主流になりつつある。
頼朝が1199年に急逝した際、大倉御所の近くに法華堂が建てられてそこに葬られた。西御門はかつて大倉御所の鬼門(北東)に当たる位置で、宗教的な意味合いも含めて選ばれた地とされる。現在の宝篋印塔は鎌倉時代のもので、江戸時代に島津家によって整備・修復された。
2010年(平成22年)3月10日未明、強風の影響で樹齢約千年とも伝わる大銀杏が根元から倒れた。頼朝の甥・公暁が3代将軍・源実朝を暗殺する際に隠れた「隠れ銀杏」として知られた木で、多くの人が惜しんだ。現在は切り株の近くから若芽が育ち、「ひこばえ」として成長を続けている。
寿福寺は頼朝が死去した翌年の1200年(正治2年)、妻・北条政子が夫の菩提を弔うために栄西を開山として創建した禅宗寺院。頼朝の父・義朝の旧邸地に建てられたとも伝わり、源氏ゆかりの地に政子が夫を偲んで建立したという二重のゆかりを持つ。境内の「やぐら」には政子と息子・実朝の墓所も残る。