史料からは「冷静沈着で論理的、権力闘争にも容赦がない」という人物像が浮かぶ。父・時政の失脚、和田義盛の討滅、承久の乱での決断など、すべて感情よりも幕府の論理を優先した判断だった。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(2022年)では義時の複雑な内面が丁寧に描かれ、改めて注目を集めた。
後鳥羽上皇は承久の乱の敗北後、隠岐国(現・島根県隠岐郡)に流罪となり、そのまま隠岐で崩御(1239年)した。事実上、朝廷が武家政権の支配を認める形となり、以後約150年間(1333年の鎌倉幕府滅亡まで)、幕府が日本の政治の中枢を担い続けた。
義時の墓(やぐら)は鎌倉市西御門の丘陵地、大江広元の墓などと並ぶ岩窟墓地にある。鎌倉駅から徒歩約20〜25分、鶴岡八幡宮から北東方向に進んだ静かな場所だ。
宝戒寺は鎌倉幕府滅亡(1333年)後、後醍醐天皇が北条氏の霊を弔うために創建した寺院。義時をはじめとする歴代執権の霊が祀られており、北条氏の「鎮魂の場」として機能している。
法華堂跡は現在、国史跡「頼朝・義時の墓所」として指定・整備されている。かつて頼朝の法華堂(持仏堂)が建立されていた場所で、義時もここに持仏堂を建てたとされる。現在は石碑と解説板が設置された史跡公園となっており、幕府成立期の精神的拠点として参拝できる。