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赤間神宮
赤間神宮
山口県
創建
1185
種別
神社
アクセス
JR下関駅からバス10分
山口県下関市阿弥陀寺町4-1
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基本情報
神社
創建 1185
841年目
御祭神・御本尊
安徳天皇
ご利益
安産・子授け
厄除け・災難除け
交通安全・海上安全
安産祈願・子授け・子育て守護。神功皇后や木花咲耶姫命、水天宮・鬼子母神などに由来。
御祭神「安徳天皇」のご神徳に由来
概要
寿永4年(1185年)の壇ノ浦の合戦で祖母・二位の尼に抱かれて入水した安徳天皇(享年8歳)を祀る神社。朱塗りの竜宮城を模した独特の龍宮造りの建築様式で知られ、関門海峡を望む下関に鎮座する。平家物語の悲劇を今に伝える聖地で、境内には小泉八雲の怪談「耳なし芳一」の舞台となった芳一堂と平家一門の墓が並ぶ。安徳天皇・平清盛ゆかりの歴史を偲ぶ参拝者が絶えない荘厳な古社で、壇ノ浦古戦場も間近に望める神社である。
由緒
寿永4年(1185年)、壇ノ浦の合戦で幼帝・安徳天皇が入水崩御すると、その御霊を慰めるため崩御地の近くに阿弥陀寺が建立されたと伝わる。当初は仏式の祀り所として天皇の御陵を管理する形で信仰を集めた。江戸時代には歴代長州藩主の崇敬を受け、社殿の整備が進められた。明治維新後の神仏分離令(1868年)により阿弥陀寺から神社として独立し、「天皇社」と改称。1875年(明治8年)に天皇の諡号にちなみ「赤間宮」と改められ、官幣中社に列せられた。現在の朱塗りの龍宮造りの社殿は1965年(昭和40年)に再建されたもので、水中に没した安徳天皇の御陵を象徴するかのように竜宮城を模した独特の意匠を持つ。1940年(昭…
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関連する歴史的事件
3

1180
源平合戦
1180年から1185年にかけて行われた源氏と平氏の全国規模の内戦。以仁王の令旨に応じた源頼朝の挙兵(石橋山の戦い・1180年)から始まり、富士川・一ノ谷・屋島・壇ノ浦と各地で源平の戦いが繰り広げられた。源義経の活躍により平氏は次々と敗れ、1185年の壇ノ浦の戦いで平氏は完全に滅亡した。「平家物語」に詳細に記録されたこの戦争は、日本文学・芸術に多大な影響を与え、「諸行無常」の哲学を体現する歴史的事件として語り継がれてきた。源平合戦の終結が鎌倉幕府の成立につながり、以後の武家社会の基礎となった。
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1185
壇ノ浦の戦い
1185年3月24日、長門国壇ノ浦(現在の山口県下関市)の関門海峡で行われた源平合戦の最終決戦。源義経率いる源氏軍と平宗盛を総大将とする平氏軍が海上で激突した。潮流の変化を巧みに利用した義経の戦術と、平氏方の内部離反が重なり、平氏は総崩れとなった。安徳天皇は祖母・二位尼に抱かれて入水、三種の神器のうち宝剣は海中に沈んだ。平清盛が太政大臣となって以来20年余り続いた平氏の天下は終焉を迎えた。日本史上最も有名な海戦として、今も関門海峡に壮絶な記憶を留める。
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1895
下関条約締結
1895年(明治28年)4月17日、山口県下関の春帆楼において日本と清国が調印した講和条約。日清戦争(1894〜95年)の結果を受け、日本の全権・伊藤博文と清国の全権・李鴻章の間で交渉が行われた。日本は台湾・澎湖諸島・遼東半島(後に三国干渉で返還)の割譲と2億両の賠償金を獲得。清国の朝鮮半島における宗主権も否定された。この条約により日本は近代国家として国際社会での地位を確立する一方、遼東半島返還を求めた三国干渉(露・仏・独)により反露感情が高まり、10年後の日露戦争の遠因となった。
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