貞観元年(859年)、宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ神霊を勧請する途上、この地に神霊が留まったことが創建の契機とされる。以来、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を主祭神として、関門海峡に臨む亀山の丘に鎮座し、「関の氏神様」として下関の総鎮守の地位を確立した。中世には源平合戦ゆかりの地として知られる関門海峡を見下ろす立地から、武家の崇敬を集めたと伝わる。近世には長州藩の庇護のもと社運が栄え、地域の信仰の中心として機能した。幕末の文久・元治期には尊王攘夷運動の拠点となった下関において、高杉晋作ら長州藩士とも深い関わりをもった。元治元年(1864年)の四国連合艦隊による下関砲撃事件(馬関戦争)では境内も戦火…