奈良時代に行基が聖観音像を安置したのが起こりと伝わり、平安初期の大同元年(806年)に坂上田村麻呂が東征の凱旋にあたり堂宇を建立したという。源頼朝の異母弟・源範頼が幼少期に当地に身を隠し、のちに三重塔などを寄進したと伝えられる。中世には岩殿山の山岳寺院群の中核として栄えたが、戦国期の松山城合戦の兵火で全山焼失。江戸前期に杲鏡法印により再興され、寛永年間(1624-44年)に三重塔、慶安2年(1649年)には徳川家光から寺領20石の朱印地を賜った。現存する三重塔(寛永年間)と本堂(寛文元年・1661年)はいずれも県指定文化財として残る。坂東三十三観音第十一番札所「吉見観音」として、近隣の吉見百穴…