創建年代は不詳だが、延喜式神名帳(927年)に登録された式内社として平安初期から官社として認められていた。旧称「五ノ宮大明神」が示す通り、古代より周防国の五番目の宮として格付けされていた。中世、室町時代の明応6年(1497年)に大内義興が九州遠征から凱旋した際、周防国内五社を順に巡拝して戦勝を奉告した。当社が第五番目に参拝された社となり、「周防国五宮」の地位が改めて確立された。同じ凱旋巡拝で仁壁神社(三宮)・赤田神社(四宮)なども順に参拝されており、これらの巡拝が周防国の宮系列を体系化した。大内氏滅亡後は毛利氏の庇護を受け、明治39年(1906年)の神社合祀政策のもとで周辺6社を合祀して現在地…