三浦市三崎に位置する真宗大谷派(東本願寺末)の寺院。山号は香水山。貞応2年(1224年)、源頼朝の甥・源阿佐美之介が親鸞聖人に帰依して法名「釈明願」を賜り、鎌倉の名越坂に「寶満寺」として創建したのが起源と伝わる。開基が清和源氏の末裔であることから、寺紋には笹竜胆を用いる。元亀年間(1572年頃)に小田原北条氏の圧力により三崎の宝満町に移転し、元和6年(1620年)には三崎奉行・向井兵庫頭から現在地を寄進されて寺号を「圓照寺」に改めた。文政年間(1818年頃)に第23世住職が山号を「厳石山」から「香水山」へと改称した。現在は「いのち いまを生きる!」をテーマに現代に開かれた道場として法灯を継ぎ、三崎の漁師・商人の信仰を今に伝える。海南神社とは目と鼻の先に位置し、合わせて参拝できる。
圓照寺の起源は鎌倉時代初期の貞応2年(1224年)に遡る。源頼朝の甥・源阿佐美之介が越後へ赴いて親鸞聖人に帰依し、法名「釈明願」を賜った後、鎌倉の名越坂に「寶満寺」を建立した。寺紋の笹竜胆は清和源氏の血脈を示す証として今も受け継がれる。戦国末期の元亀年間(1572年頃)、小田原北条氏の支配下で三崎一帯に宗教的圧力が加わり、寳満寺は鎌倉から三崎の宝満町へ移転を余儀なくされた。江戸時代の開幕で三崎が幕府直轄地となると、元和6年(1620年)に三崎奉行を務めた向井兵庫頭が現在地を寄進し、本堂を建立。この機に寺号を「圓照寺」と改め、現在の境内の骨格が整えられた。文政年間(1818年頃)には第23世住職…