[ まだ写真がありません ]
最初の一枚を投稿しませんか
不破の関跡
岐阜県
壬申の乱から万葉集まで詠まれた古代三関のひとつ・不破の関
種別
史跡
アクセス
岐阜県不破郡関ケ原町松尾
Google Map で開く ↗
基本情報
史跡
概要
関ケ原町に位置する古代三関の一つ。壬申の乱(672年)の際にも重要な役割を果たした、東山道を押さえる古代最重要の関所跡。万葉集にも「不破の関」として詠まれるほど歴史的知名度が高く、古代から中世にかけて日本の東西を分ける要衝として機能した。現在は史跡公園として整備され、古代の交通・防衛史を物語る遺構が残る。
由緒
不破の関は古代三関(不破・鈴鹿・愛発)の一つとして東山道に設けられた最重要の関所。壬申の乱(672年)では大海人皇子(後の天武天皇)がこの関を押さえたことが乱の帰趨を決定づけたとされ、古代の政治・軍事史において極めて重要な地点である。奈良・平安時代には都から東国への交通を制御する要衝として機能した。万葉集には「不破の関路」など複数の歌が詠まれており、詩歌の世界でも著名な地名であった。平安時代中期以降、関所としての機能は失われたとされるが、後に関ケ原合戦(1600年)の地としても歴史の節目を刻んだ。現在は史跡公園として整備されている。

関連する歴史的事件
1

672 年
壬申の乱
672年、天智天皇の崩御後に起きた皇位継承をめぐる内乱。大海人皇子(後の天武天皇)が吉野から東国へ脱出し、伊勢・尾張・美濃の兵を糾合して挙兵。大友皇子(弘文天皇)の近江朝廷軍と各地で激突した。不破関を押さえた大海人軍は優勢に戦いを進め、近江瀬田川の合戦で大友軍を撃破。大友皇子は自害し、わずか一ヶ月余りで決着がついた。この乱の結果、天武天皇が即位し、律令国家体制の整備が本格化した。日本古代史最大の内乱として古代国家形成の転換点となった。
もっと詳しく →
みんなの投稿
0
まだ投稿がありません
情報を提案する
位置のずれ / 由緒 / 参拝時間 / アクセス / 設備 / 注意事項 などを提案できます
事実と違う内容を報告
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能
App Store からダウンロード
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード