立待岬は函館山の南端に位置し、古くからアイヌ民族が津軽海峡を望むこの地で魚を立って待ち伏せし漁を行っていたとされる。その様子を示す言葉「タチ・マ・チ(立って待つ)」が地名の由来と伝わり、11世紀頃にはすでに人々の生活の場であったと考えられる。近世、松前藩の支配下において函館周辺の海岸線は交通・交易の要衝となり、この岬一帯も漁業の拠点として活用されたとされる。明治以降、函館が北海道開拓の玄関口として発展するにつれ、周辺地域の整備が進んだ。明治・大正期に活躍した歌人・石川啄木は函館に縁が深く、1912年(明治45年)に26歳で没した後、一族の墓が岬近くの住吉町に営まれた。これにより立待岬は文学史跡…