弘仁13年(822年)、弘法大師空海が嵯峨天皇の勅願を受けてこの地に堂宇を開いたと伝わる。本尊の阿弥陀如来像は弘法大師自刻と伝えられる。室町・戦国期を経て荒廃した時期もあったが、江戸初期に再興された。境内に現存する「キリシタン墓碑」は1610年代(元和・慶長年間)のものと推定され、日本最古のキリシタン墓碑と評価される。禁教令が敷かれた江戸時代において、仏教霊場の境内にキリシタンの墓碑が残るという稀有な事実は、当時の宗教的共存の一端を物語る貴重な史料である。明治期以降は四国八十八箇所第53番霊場として遍路道の要所に位置し、真言宗智山派の寺院として現在に至る。