茨城県常陸太田市天下野町に鎮座する古社。東金砂山(標高490m)の山頂部に位置する。主祭神は大己貴命・少彦名命・国常立命の三柱。大同元年(806年)、比叡山で修行した宝珠上人(ほうじゅしょうにん)が西金砂神社と共に同時に創建したと伝わり、両社は「金砂郷の二社」として古来並び称される。西金砂神社が72年に一度の磯出大祭礼を主催する際、東金砂神社の神輿も合流して大規模な渡御行列を形成する。東西両金砂は古代より修験道の山岳霊場として知られ、中世以降は常陸国を支配した佐竹氏(清和源氏系)の篤い崇敬を集めた。佐竹氏は両金砂を「氏神に准ずる聖地」として保護し、戦勝祈願や領内鎮護の場として位置づけた。慶長7年(1602年)の佐竹氏秋田移封後も、水戸藩の保護下で地域の重要神社として存続した。境内には佐竹氏由来の古文書や中世以来の石造物が残る。山頂部からは奥久慈の山並みを一望できる。常陸太田市バス天下野停留…
東金砂神社の創建は大同元年(806年)、比叡山延暦寺の僧・宝珠上人による。宝珠上人は同年、西金砂山と東金砂山の両山頂に同時に社殿を建立し、それぞれに大己貴命を主神として勧請したと伝えられる。これにより常陸国久慈郡(現・常陸太田市)の山岳地帯に「東西の金砂二社」が並び立つ祭祀体制が確立した。両社は「金砂郷の二社」と総称され、古来一体として信仰された。中世には常陸国を支配した佐竹氏(清和源氏義光流)の篤い崇敬を受け、佐竹氏は両金砂神社を一族の精神的拠点と位置づけて保護した。佐竹氏第14代当主・佐竹義舜(よしあつ)の時代には、両金砂神社に多数の寺領寄進と社殿改修の記録が残る。慶長7年(1602年)、…