JR姫路駅から徒歩約20分
兵庫県姫路市本町
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貞和2年(1346年)に赤松貞範が築城した白亜の城郭。豊臣秀吉が天正8年(1580年)に入城して三層の天守を建て、江戸初期に池田輝政が大規模に拡張して現在の壮大な姿が完成した。「白鷺城」の別名で知られる優美な天守群は国宝・世界文化遺産に指定され、日本に現存する最も美しい城の一つとして名高い。姫路駅から一直線に延びる大手前通りの正面にそびえる圧倒的な存在感が見どころ。江戸時代を通じて原形のまま残った奇跡の城で、現存天守の最高峰と評される。
貞和2年(1346年)に播磨守護・赤松貞範が姫山に築いたとされるのが起源。戦国期には小寺氏・黒田氏が入り、弘治年間(1555-1561)に黒田重隆・職隆父子が中世城郭へ拡張、嫡孫の黒田官兵衛もここで生まれた。天正8年(1580年)に中国攻めの拠点として羽柴秀吉が入城して三層の天守を築いた。慶長5年(1600年)の関ヶ原戦後、池田輝政が播磨52万石の領主として入封。翌慶長6年から9年にわたる大改修で、五重六階の大天守と三基の小天守を連立させた現在の姿が完成した。元和3年(1617年)以降は本多・榊原・酒井・松平など譜代親藩の6氏31人が約270年統治。明治以降は陸軍兵営として老朽化するが、中村重…
関ヶ原の戦いの功績で家康から播磨52万石を与えられた池田輝政が、慶長6年(1601年)から9年の歳月をかけて大改築を行い、現在に残る連立式天守群を完成させた。「西国将軍」と称された輝政の威信をかけた大工事で、日本城郭建築の最高傑作が誕生した。
天正8年(1580年)、中国攻めの拠点として羽柴秀吉が入城し、わずか3年で三層天守を完成させた。「三日普請」と称されるほどの驚異的なスピードで城を仕上げたと伝わり、秀吉の合理的な発想と卓越した動員力を示す逸話として有名。
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