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広島城
創建
1589
種別
アクセス
JR広島駅から路面電車約15分「紙屋町東」下車
広島県広島市中区基町
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基本情報
創建 1589
437年目
概要
毛利輝元が天正17年(1589年)に太田川デルタに築いた中国地方の中枢城郭。黒い下見板張りの五重天守が特徴的で「鯉城(りじょう)」の別名を持つ。昭和20年(1945年)の原爆で倒壊したが、1958年に復元。現在は広島の歴史と城の変遷を伝える歴史博物館として公開され、平和記念公園とあわせた広島観光の中心スポット。日本100名城のひとつとして年間多くの観光客が訪れる広島のシンボルである。
由緒
広島城は天正17年(1589年)、毛利氏の当主・毛利輝元が太田川河口のデルタ地帯に築城を開始し、文禄元年(1592年)頃に完成したとされる。中国地方の覇者・毛利氏の本城として機能し、五重五階の天守を備えた平城であった。その黒い下見板張りの外観から「鯉城(りじょう)」の別名でも呼ばれる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、毛利氏は周防・長門へ転封となり、代わって福島正則が入城した。元和5年(1619年)には福島氏が改易され、浅野長晟が42万石で入封。以後、浅野氏が明治維新まで広島藩主として城を維持した。明治維新後は陸軍の拠点となり、日清戦争時には大本営が置かれた。しかし昭和20年(1945年…
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毛利元就とのつながり
広島城を築いたのは毛利輝元だが、その礎を築いたのは祖父・毛利元就である。元就が郡山城を本拠に中国地方を統一したからこそ、輝元はその遺産の上に太田川デルタのこの地に広大な城を築くことができた。元就なくして広島城の誕生はなかった。
mouri-terumotoとのつながり
毛利輝元が天正17年(1589年)に太田川デルタに築いた中国地方の中枢城郭。輝元は豊臣五大老の一人として秀吉政権を支え、関ヶ原合戦では西軍の盟主となった。敗戦後は長州へ移封され、広島城は福島正則の手に渡った。

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