西山荘は、水戸藩2代藩主・徳川光圀が隠居所として整備した邸宅で、貞享元年(1684年)頃に造営が始まったとされる。元禄3年(1690年)、光圀は藩主の座を甥の綱條に譲り、68歳でこの地に隠居した。以来、元禄13年(1700年)に73歳で没するまでの約10年間、光圀はここを拠点として「大日本史」の編纂事業を指揮した。佐々介三郎(宗淳)や安積澹泊ら彦根助手もこの地で編纂に携わったとされる。茅葺き屋根の質素な建物は大名の隠居所とは思えないほど簡素であり、光圀の清廉な姿勢を今に伝えている。明治以降は水戸徳川家によって保存管理が続けられ、昭和時代に国の史跡に指定された。現在も建物・庭園ともに江戸時代の面…