朝倉孝景(敏景)が文明3年(1471年)頃に越前支配を固め、一乗谷を朝倉氏の本拠として整備した。以後5代・約100年にわたり越前を統治し、京の戦乱を逃れた公家・文化人を迎えて「北陸の京都」と称される文化的繁栄を築いた。元亀年間には足利義昭・織田信長と結んだが、やがて信長と対立。天正元年(1573年)8月、刀根坂の戦いで朝倉義景が信長に大敗すると、8月18日に織田軍が一乗谷へ攻め入り、館・寺社・町屋を三日三晩にわたって焼き払った。義景は越前大野へ逃れたが従兄弟に裏切られ、8月20日に自刃して朝倉氏は滅亡した。焼亡した城下町は土中に遺構が保存され、昭和の発掘調査でその全容が明らかとなり、特別史跡・…