仲哀天皇2年(193年)、第14代仲哀天皇が熊襲征伐のために西下した際、この地に豊浦宮を営んだとされるのが当社の起源と伝わる。神功皇后もこの地を拠点として三韓征伐の戦勝祈願を行ったとされ、古代より皇室との縁の深い聖地として尊崇を集めてきた。長門国二宮に列せられ、古代から中世にかけて長府地域の中心的神社として栄えた。中世には武家の崇敬も厚く、武運長久を祈願する社として在地領主らの庇護を受けたとされる。近世に入り長府藩の時代にも藩主毛利家の崇敬を受け、地域信仰の中核として維持された。明治以降は近代社格制度のもとで官幣中社に列せられ、国家的な格式を与えられた。境内に伝わる「数方庭祭」は仲哀天皇の時代…