社家・木積家の記録『遺書伝来記』によれば、皇紀2年に可美真手命が生駒山中の宮山に饒速日尊を奉祀したのを起源とし、崇神天皇の御代に現在の地に遷座されたと伝わる。文献上の初見は『日本三代実録』(貞観7年・865年)で、「河内国正六位の石切劔箭神社に従五位下を授く」と記され、平安時代には朝廷の崇敬を受けていたことが確認できる。『延喜式神名帳』にも「石切劔箭命神社二座」として記載される式内社である。室町時代末期に兵火により社殿が焼失したが、江戸時代に再建された。明治時代に村社に列格し、1905年に上之社の饒速日尊が現本社に合祀された。戦後は神道石切教の総本部となり、がん・腫瘍封じのご利益で大阪・奈良方…