京都府向日市寺戸町に所在する古墳時代前期(3世紀中葉〜後半)の前方後円墳。全長91.2メートル、後円部径54〜55メートル・高さ8.7メートルの3段築成、前方部長さ40.5メートルの2段築成で構成される。葺石が施されるが埴輪は確認されていない。竪穴式石室(長さ6.2m×幅1.3m)が後円部墳頂に設けられており、自然河原石のみで構築した大型前方後円墳の最古例とされる。奈良県桜井市の箸墓古墳と共通する「斜路状平坦面」を持つ段築構造が確認されており、初期前方後円墳の築造技法解明に極めて重要な遺跡。乙訓古墳群の一部として2016年(平成28年)に国史跡に指定された。向日丘陵上の「はり湖山」に位置し、墳丘への立入は禁止されている。
3世紀中葉〜後半、ヤマト政権の成立と歩調を合わせた時期に向日丘陵南部の尾根上に築造された。向日丘陵古墳群の中で最古の古墳であり、その被葬者は乙訓地域(山城国南西部)に割拠した有力首長と推定されるが、主体部(竪穴式石室)が未発掘のため詳細は不明。奈良・纒向古墳群の東田大塚古墳との前方部形態の近似や、箸墓古墳と共通する段築構造の確認から、当時の畿内の先進的な古墳築造技術が乙訓にも波及していたことが示される。後円部西裾からは丹後系と関連する土製棺形容器が1点出土しており、3世紀の広域的な交流関係の一端を物語る。古墳名「五塚原(いつかはら)」の由来は、かつてこの丘陵に複数の塚が存在したことに由来すると…