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妙本寺
神奈川県
創建
1260
種別
寺院
アクセス
神奈川県鎌倉市大町1-15-1
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基本情報
寺院
創建 1260
766年目
開基・創建者
日朗(比企一族の菩提のため)

お祭り・行事
2

1月
1
妙本寺 初詣
日蓮宗の古刹・妙本寺(鎌倉)の初詣。比企谷に静かに佇む境内は正月でも混雑が少なく、鎌倉の隠れた初詣スポット。比企一族の菩提寺として知られ、歴史の重みを感じながら静かな新年の祈りを捧げられる。
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概要
妙本寺は鎌倉市大町の比企谷(ひきがやつ)に位置する日蓮宗最古の寺院の一つで、山号を長興山と号します。鎌倉駅から徒歩わずか数分の場所にありながら、深い谷戸に囲まれた境内は鬱蒼とした緑に包まれ、鎌倉の喧騒とは別世界のような静寂が広がっています。この地はかつて鎌倉幕府の有力御家人であった比企能員の一族の屋敷があった場所で、建仁三年(1203年)の比企の乱で北条氏に滅ぼされた比企一族の悲劇の舞台として知られています。比企能員の末子である能本が、日蓮聖人に帰依して法華堂を建立したのが妙本寺の始まりとされています。祖師堂は鎌倉最大級の木造仏堂で、その堂々たる姿は訪れる者を圧倒します。二天門には持国天と多聞天が安置され、参道の石段を上る参拝者を見守っています。境内は四季折々の自然が美しく、特に春の桜と海棠(カイドウ)の花は見事で、多くの花見客を集めます。夏にはノウゼンカズラが祖師堂を彩り、秋の紅葉は谷戸…
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由緒
建仁三年(1203年)、二代将軍頼家の外戚として権勢を振るった比企能員は、北条時政の策略により謀殺され、比企一族は北条氏の軍勢によってこの比企谷の屋敷で滅ぼされました。世にいう「比企の乱」です。比企能員の末子・能本は難を逃れて生き延び、のちに日蓮聖人に帰依しました。文応元年(1260年)頃、能本は一族の霊を弔うため、この地に法華堂を建立し、日蓮聖人を開山に迎えました。これが妙本寺の始まりです。以来、日蓮宗の重要寺院として法灯を守り続け、鎌倉における日蓮宗布教の拠点となりました。江戸時代には比企谷の静かな環境の中で寺勢を保ち、現在に至っています。

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関連する歴史的事件
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1203
比企能員の変
建仁3年(1203年)、二代将軍・源頼家の外戚として権勢を誇った比企能員を、初代執権・北条時政が謀殺した事件。頼家が重病に陥ると、時政は能員を自邸に呼び出して殺害。さらに比企一族の館を襲撃し、一族を滅ぼした。頼家の嫡子・一幡もわずか6歳で殺害された。頼家は伊豆修禅寺に幽閉され、翌年殺害された。この事件により北条氏が幕府の実権を完全に掌握し、以後の執権政治の基盤が築かれた。政子にとっては息子・頼家の外戚を滅ぼすという苦渋の決断であった。
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比企能員とのつながり
建仁3年(1203年)、北条時政の策略により名越邸に呼び出されて謀殺された。その直後、北条軍がこの比企谷の比企邸を襲撃し、一族は滅亡。嫡子・一幡(6歳)も殺害された。末子・能本が生き延び、後に日蓮聖人に帰依してこの地に妙本寺を建立した。
間宮信繁とのつながり
建仁3年(1203年)の比企能員の変において、主君・比企能員と共にこの比企谷の屋敷で北条氏の軍勢と戦い、壮絶な最期を遂げた。妙本寺は比企一族とその忠臣たちの菩提を弔う寺として建立された。

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