JR東逗子駅から徒歩20分
神奈川県逗子市沼間2-1402
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病気平癒・身体健全・心身の癒し。薬師如来や観音菩薩を本尊とする寺院が霊験あらたか。
御祭神「薬師三尊」のご神徳に由来
神亀元年(724年)、聖武天皇の勅命により行基が開創した天台宗の古刹。逗子と横須賀の境に位置する鷹取山の山中に伽藍を構え、関東では珍しい深山幽谷の趣を残す山岳寺院である。吾妻鏡には源頼朝が北条政子の安産を祈願して参詣した記録が残り、鎌倉幕府との深い縁を持つ。また建保6年(1209年)には三代将軍・源実朝も岩殿寺とともに参詣している。本堂には薬師三尊像を安置し、古くから病気平癒の霊験で信仰を集めてきた。平安時代には円仁(慈覚大師)が再興したと伝わり、天台密教の修行道場として機能した。JR東逗子駅から鷹取山ハイキングコースを経由するルートは、自然の中を歩きながら古刹を訪ねる人気の散策路として親しまれている。境内には鎌倉時代の板碑や石造物が点在し、中世の信仰の痕跡を今に伝えている。
神亀元年(724年)、聖武天皇の勅命により行基菩薩が薬師如来を刻んで開創。山号を医王山と称し、薬師信仰の霊場として信仰を集めた。平安時代に円仁(慈覚大師)が再興し、天台密教の道場として整備された。鎌倉時代には源頼朝が政子の安産祈願に参詣し(吾妻鏡)、幕府の祈願所として庇護された。建保6年(1209年)には三代将軍・源実朝も岩殿寺とあわせて参詣した記録がある。中世には修験道の行場としても機能し、鷹取山一帯が霊場として崇められた。江戸時代には朱印地を賜り、逗子・横須賀地域の信仰の中心として栄えた。明治の廃仏毀釈で一時衰退したが、現在も天台宗の古刹として法灯を守り続けている。
吾妻鏡に源頼朝が政子の安産を祈願して神武寺に参詣した記録が残る。伊豆の流人時代に結ばれた頼朝と政子にとって、子の誕生は幕府の存続に直結する重大事であった。政子の安産のためにわざわざ山深いこの寺を選んだのは、神武寺の薬師如来の霊験が広く知られていたからとされる。政子にとっても、夫がこの地で自分と子のために祈りを捧げた記憶は、生涯忘れ得ぬものであったろう。安養院に眠る政子の波乱の生涯の中で、この神武寺参詣は穏やかな一幕として記憶される。
吾妻鏡によれば、建保6年(1209年)に三代将軍・源実朝が神武寺に参詣した記録がある。岩殿寺と共に訪れており、武芸と和歌を愛した文武両道の将軍・実朝の仏教への帰依の深さを物語る。実朝はこの山深い古刹で何を祈り、何を想ったのか。鶴岡八幡宮での暗殺まであと10年。「金槐和歌集」に詠まれた実朝の繊細な心は、こうした静寂の山寺でこそ養われたのかもしれない。
頼朝は政子の安産を祈願するため、自ら神武寺に参詣した。吾妻鏡にその記録が残り、鎌倉殿が山深い古刹まで足を運んだのは薬師如来への深い帰依の表れである。頼朝は伊豆時代から三嶋大社をはじめ各地の神仏に祈願を行ってきたが、神武寺への参詣は家族の安寧を願う私的な信仰心が垣間見える。この祈りが通じ、政子は無事に出産を迎えた。
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