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聚楽第跡
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聚楽第跡
京都府
創建
1587
種別
史跡
アクセス
京都市バス「堀川中立売」下車徒歩3分
京都府京都市上京区(中立売通大宮付近)
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基本情報
史跡
創建 1587
439年目
概要
天正15年(1587年)に豊臣秀吉が京都に築いた壮麗な城郭兼邸宅。後陽成天皇の行幸を迎えるなど、豊臣政権の権威を天下に示す政庁として機能した。天正19年(1591年)に甥の豊臣秀次に譲渡されたが、文禄4年(1595年)の秀次事件(謀反の嫌疑による切腹)の後、秀吉の命により徹底的に破壊された。わずか8年で姿を消した幻の城郭で、現在は住宅街の中に「聚楽第址」の石碑がひっそりと建つのみ。その豪華絢爛さは狩野永徳の障壁画などの記録から偲ばれる。
由緒
天正15年(1587年)秀吉が関白の政庁として着工、同年完成。天正16年(1588年)後陽成天皇の行幸を実現。天正19年(1591年)秀次に関白職とともに譲渡。文禄4年(1595年)秀次が高野山で切腹させられると、秀吉は聚楽第を徹底破壊し、部材は各地の城や寺に転用された。西本願寺の飛雲閣や大徳寺の唐門はその遺構と伝わる。
豊臣秀次とのつながり
秀吉の甥・秀次は天正19年(1591年)に関白職と聚楽第を譲り受け、政務を執った。しかし秀頼誕生後に秀吉との関係が悪化し、文禄4年(1595年)に謀反の嫌疑をかけられ高野山で切腹。聚楽第は秀吉の怒りにより跡形もなく破壊され、秀次の妻子も処刑されるという悲劇に至った。

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